研究活動・親睦

各地の声・各地のイベント

各地のイベントから(会報158号より)

各地のイベントから(会報158号より)

「ちば秋の詩祭」が盛況裡に開催

講演する 細野豊氏

 2019年11月4日(月・祝)午後1時、千葉・県民芸術祭―文化でつなぐ千葉のちから「第41回ちば秋の詩祭」が開催された。
 第一部の司会は秋元炯理事長と松田悦子理事。会は、甚大な被害をもたらした三度の台風の被災者への思いを込めて会を行っていきたい、との会長挨拶から始まった。
 朗読はヴァイオリンを奏する方、悲しみから希望へと立ち上がる作品、世界の人々の幸福を祈るものなど心を打つ豊かな朗読が続いた。
 第二部の文芸講演は大掛史子理事が司会。講演者・細野豊氏の詩的業績や人となりを紹介した。細野氏の講演は「理解し合えない隣人 メキシコと米国」『宇宙的民族の国 メキシコの詩人たち』。オクトビオ・パスとアンバル・パストについて話して頂いた。
 ノーベル賞受賞詩人パスはシュルレアリスムの継承者で、無意識から湧き上がるエロスを重視した詩人。米国からメキシコに帰化した女性詩人パストは先住民との交流やインドのヒマラヤ地方で修行するなど物質文明に批判的なところから表現する詩人。細野氏はパスの詩「目のまえの肉体」とパストの詩「捧げる詩」を氏の訳詩と原詩を朗読した。歯切れのよい講演とこの朗読の明快さは会場を魅了し、ラテンアメリカ文学への興味を注ぐものとなった。
 第三部は末原正彦氏脚本による『宮沢賢治の一生』。賢治の生誕、父との進学や家業、宗教での葛藤や対立、妹トシの死、爆発的な創作や教師から農業への転身、さらに恋愛のエピソードも加えて丹念に綴られた劇に参加者は引き込まれた。演出は山中真知子理事、9人の方が熱演した。この詩劇のために岩手から駆けつけた森三紗氏(賢治の親友で直木賞作家の森佐一の娘さん)が挨拶し会場が沸いた。
 詩画展では絵や書等と詩のコラボなど多彩な作品が掲示されたが、県内の同人誌19誌も展示し、交流や親睦を図ることができた。
 県外各地からも多くの方が出席し、充実して熱気ある詩祭となった。(根本明 記)


秋の詩祭・詩をよりよく伝えるために
          群馬詩人クラブ

講演する 中原道夫氏

 令和元年一一月二三日(日・祝日)に、前橋テルサに中原道夫氏(埼玉県所沢市)を講師に迎えて、六二周年を締める「秋の詩祭」を開会しました。
 私の知る限りでは今まで講演下された方(敬称略)は次の通りです。小海永二、安西均、吉原幸子、○真下章(二回)、○岸本マチ子(二回)、◎梁瀬和男、菊田守、杉谷昭人、石川逸子、柴田三吉、◎大橋政人(二回)、中村不二夫、支倉隆子、◎田村雅之、◎川島完、○北爪満喜、中上哲夫、八木忠栄、入沢康夫、八木幹夫、佐久間隆史、田中武、三浦雅士、北畑光男、◎江尻潔、◎原田道子、以上で会場は、県婦人会館、県社会教育館、県土屋文明記念文学館と移り、平成一四年から前橋テルサで開催しております。◎は会員、○は元会員です。
 中原氏は講演の中で六つの要点を揚げて、時に考え込ませ、時に笑わせ、素敵な時間を演出して下されました。
 六つの要点とは
一、詩とは何か。
二、詩とは反復された現実である。
三、詩における起承転結。
四、詩におけるアイロニー。
五、言葉(詩)のリズム。
六、詩は読み手に伝わってこそ成立する。
 これら要点に沿って、山本みち子「あらう」 ゆうきあい(松尾静明)「みらい」 中原道夫「名前について」 「中村さん、ってば」 浅野徹「いいことずくめ」 関根弘「みたことない海に」 相馬大「野」 北川冬彦「ラッシュ・アワア」 草野心平「ゆき」 杉山平一「ポケット」等を朗読を混じえ、解説しながら、これらの詩の素晴しさを通しての講演で、会場は満された空気が漂い、大成功の「秋の詩祭」でした。成功の立役者をもう一人紹介すると、講師紹介で平野秀哉氏が中原氏とのエピソードをユウモアたっぷりに話され、会場に笑いを誘ったことです。群馬詩人クラブはこれからが楽しみだと確信しました。
 ご後援に深謝します。  堀江泰壽


震災をテーマに
    2019宮城県詩祭開かれる

 2019年11月24日(日)、宮城県詩人会詩祭2019が仙台文学館で開かれた。第一部は、「災後―ことばの現在」をテーマに詩人の藤井貞和氏と倉橋健一氏の対話。
 阪神淡路大震災と東日本大震災、この二つの災後の詩の発信力の違いは、和合亮一氏のツイッターに象徴される「いま起きていることをその場からはリアリティのある詩」として発信し続けるという、メディアの革新による新たな記録性文学の誕生と考えることができると藤井氏。
 この記録性は戦後詩の早い時期の谷川雁、森崎和江や上野英信らの「サークル村」や若松丈太郎氏がドキュメントに徹したところからはからずも福島の原発事故を予言した詩の仕事などとも通じている。また、若松氏が「正確な日本語」と評する石牟礼道子が言葉を持たない水俣病の患者の代わりに巫女になって書いた『苦海浄土』にも通じる記録性という方法意識が存在したと倉橋氏は評価する。
 しかし、現在の現代詩は内向化し現実をどう表現するかに欠けている。と同時に、現代詩の本気の読者がいないことも大きな問題であると倉橋氏は指摘する。また、藤井氏は詩が変わっていくのは読者の詩に対する要求が変わっていくためだという。現代詩が現実をどう表現するかという問題は、戦後詩の出発ともいえる「荒地」「列島」以来の課題でもある。
 戦後詩70年の歴史を振り返りながら「災後の言葉を、現代詩の復権の課題として浮かび上がらせたい」と二人の白熱の議論が続いた。
 討論の後、会場の参加者からの発言は、東日本大震災で被災した宮城県詩人会会員の及川良子氏、千田基嗣氏などが被災状況と自分の詩について語り、厚みのある詩祭となった。
 第二部は宮城県詩人会会員の朗読。色川幸子、大林美智子、佐々木洋一、千田基嗣、西田朋、やまうちあつしが登壇した。
 参加者は90名。宮城県詩人会の会員のほか、東北各県、関東・関西からの参加を得、好評裡に終えることができた。
 共催・仙台文学館。後援・日本現代詩人会、日本詩人クラブ、河北新報社、思潮社。(玉田尊英)



兵庫県現代詩協会
ポエム&アートコレクション展
 「詩を書くということ」 時里二郎氏

講演する 時里二郎氏

 詩を読んでいると 詩の中の「私」は誰なのだろう と考える時があります。作者自身なのか それとも全く架空の「私」なのか。仮に「作者」=「詩の中の私」という意識で書かれていても果たしてそれは自分自身の「私」と言えるでしょうか。そこには「ことば」というものが持つ大切なはたらきが関係しているように思います。と前置きして 詩は「私」をつくるもの 詩のなかの「私」とは距離を置いて「他者」として自分を見つめることが詩を書く行為だと 長年神戸新聞社文芸欄の現代詩の選者をされている時里氏は投稿詩から現代詩の最前線までのさまざまな詩を読み解きながら 「詩を書くということ」はどういうことか 考察を広げていく。松下育男・谷川俊太郎の詩論にも触れ 詩の方法についても自身の経験から詩を書く時の実際を明かす。自分に対する驕りがなければ詩は書けない。詩を書く余地を探すことをいつも心がけるように意識している。
 自分でも未知な世界に強く惹かれたりこだわったりすること 詩の向こうにあるもの(言葉では表現できない世界 わからない世界)を触知すること ことばを断念すること それでも言葉はおのずと指し示す方へ導いてくれ 詩の糸口を探ることができる。詩を書く人は詩を書くことによって別の自分を発見し「他者」としての自分を見る。それが詩を書く喜びであり 楽しみでもある。わからなさを怖れないで「私」とは誰か問い続けて欲しい、と結んだ。
 60席しか用意(通常定員50)されていなかったところに72人の人が集まった。皆熱心に耳を傾けメモを取る人も多い。元教会であった文学館の礼拝堂の窓から光が注ぐ中 静かで豊かな時間が流れた。周囲には会員の詩画・書・詩誌・詩集も展示され終了後残って鑑賞する人も目立った。
2020年1月18日(土)  事務局長 山本眞弓 報告



静岡県詩人会
   「ポエムイン・静岡二〇二〇」

講演する 峯澤典子氏

 一月二十六日「日」に第三十三回、静岡の詩祭「ポエムイン・静岡」が、グランシップ交流ホールで、三十名参加、峯澤典子講師を迎え、佐相憲一理事長も参加下さり開催された。一部は昨年詩集出版の会員の自作詩朗読。井村たづ子「蛍の店」鈴木和子「散歩」福島暉「粥」
 続いて峯澤典子氏講演。今回は、従来と少し違う、会員の役に立つ事をラストに一つと、欲張りなお願いをしたところ、各所で詩の教室講師をされている氏は快く「詩の教室」中心に切り替えて下さり演題は、「いま、新しい詩人たちの詩を読む」タイトルでポエムインとしては、初めての従来の講演とはひと味違う試み。
 若手の注目詩人達として峯澤氏が選出の四人。十田僥子「銘度利加」マーサ・ナカムラ「犬のフーツク」水下暢也「狙撃者の灰色」井戸川射子「川をすくう手」を取り上げ、朗読と丁寧な解説。鮮度のある作品の解説は、日頃若い人の作品を読む機会の少ない会員は、新鮮な刺激と驚きのインパクトあるメッセージを受け取ったのでは
 絵画で言えば多くの会員が写実で書いているので、多角度の視点からの試みは、刺激になったのではないだろうか。紹介された作品はどれも散文詩に近い語りの力を見せながら、この世のルールに縛られない異空間の中での綿密な仕掛け、詩の中を流れる時間のなかに、もう一つの時間を入れて、幻想と現実が区別されていない、幻想の中に現実が招き入れられている、骨格のしっかりした作品は、メタファーだけのテクニックお化け作品と違って、心地よく鮮度のある作品を、会員は受け取れ参考になったのではないだろうか。
 後半講師自身の作品に触れ又作詩法も披露して頂けた事は、珍しいことで感謝。会員への講師としての丁寧な応対や仕事ぶりを見せていただき、又新感覚の詩を学習出来た充実した一日。
  「静岡県詩人会理事 橋本由紀子」

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